2008年07月09日

ネットにおける匿名性の問題

 ネットにおける匿名・顕名あるいは実名の是非論についてよく考えている。
 反論、というわけではないけれど、たくみさんの記事「ブログと署名記事の間・・ 」についてまた思うところがあるので、それをまとめてみたい。

 ネチケットという言葉はもう死語になってしまった感があるが、ネットに表現場所を持っているものとして、しばしばネットマナーというものを考える。
 確かに、ネット特有のマナーというものは存在するかもしれない。ただ、特有のものがあるとすれば、それの多くは技法的なものであり、ブログで特定の記事に言及すればTBを送って通知した方が親切であるとか、引用はリンクを貼った上で引用タグを使用してやれば読者に分かりやすい、などというような細かな話に過ぎない。また、リンクはトップページに貼りましょうとか、無断リンク禁止などというものはローカルルールに過ぎず、ネット上に提示しているものをリンクするなとかは阿呆な論理である。それだったらパスワードでもかけておきなさい。そんなのはマナーでもなんでもない。
 それ以外の「ネットマナー」と声高に言われるものは、全てネットに限らず通用する話ばかりである。誹謗中傷をするな。肖像権を侵害するな。無断で文書をパクってさも自分が書いたように言うな。全て当然のことばかりである。通常に社会生活を営める能力のある人であれば、必ず理解してもらえる問題ばかりだ。
 つまりマナーというものは、社会において他人が不愉快にならないために気遣うものである。その定義は間違ってはいまい。何でも、自分さえ良ければそれでいいと思えば社会は成り立たない。気遣いと思いやり。ローカルマナーは確かに存在して(韓国では食器は持ち上げない、とかエスカレーターは関東と関西で道を空ける側が異なるとか)いるが、それも「郷に入っては郷に従え」的な部分で解決するものである。ネットマナーもその程度の特殊性を持っているに過ぎない。

 さて、匿名問題である。
 インターネットでは、HN(ハンドルネーム)を使用してもいいことになっている。これは本人識別のため、というのが大きな理由である。固定HN(コテハン)を使用し、さらにこのコテハンでHPやブログ等を運営している場合、そのHNは匿名とはもはや言いがたい。立派にネット上に拠点を持つものの識別名である。
 インターネットでは、この識別名で足る。と言うか、これ以上のことをやっても無意味なのである。
 インターネットは全世界に広げられた社会である。その中で、例え本名で登場したとしても、その本人識別を全ての人が出来るわけではない。僕が仮に本名が田中権三郎だとして、私は田中権三郎でござい、とBBSで書き込んでも、それがHNの凛太郎といかほどの差があるのか。世界の認識の中では本名もHNも同等の価値観しかないのである。田中権三郎もHNの一種としか認識されまい。自己紹介サイトを持ち、田中権三郎、年齢○○、さらに住所、電話番号、職業、家族構成、さらには自分の画像まで添付したとしても、全世界の中ではそのようなものはひとしずくにしか過ぎず、またそれらの情報を事実であると証明することも簡単ではない。同じことなのである。
 じゃそこにどうしても無責任さが伴うじゃないか、という問題については、ひとつの解決方法がある。自分の責任の所在をネット上で提示するには、「恥をかく場所」を用意すればそれで足る、という考え方である。
 この物言いは、ネット上では黒木玄氏が提示した「黒木ルール」が高名である。その黒木ルール内の、「匿名」による批判の禁止がこれにあたる。これについてはえっけん氏がうまくまとめておられるので、それを参考にしていただければ有難い。
 これ以上のことは出来ない。ひとつの解決方法として、「共通ID」の創設が言われている。ネット上で何か情報を発信する場合においては、個人識別IDを使用しないと出来ないようにする、ということであるが、これは現在段階においてはまだ夢物語である。しかしこのアイデアも、「恥をかく場所」を、それを持たない個人に設定するためのものだ(自分のサイトを持たずとも、発言履歴が遡れる)。
 実際に、例えば犯罪に関わる書き込みなどの場合は、識別IPは既に存在しており事件解決に役立っている。だがこのIPは「個人情報保護法」によって守られており、それ以外で自主規制をしようという動きでしかない、と考えられる。
 結論としては、現段階において、匿名も顕名もさほどの差を生じさせることは出来ない、ということである。自分では顕名(実名)のつもりでやっていても、その人が社会的著名人でない限りは、実名も匿名も変わらないのである。
 僕もサイトを運営していて、「恥をかく場所」は持っているつもりである。自分にとっては大切な大切なサイトである。そんなもの、著名人の社会的立場と比べて軽すぎる、という意見を持つ方もおられるだろうが、それは僕とそのサイトに対する侮辱だと考える。

 これ以外に匿名問題については、コテハンに対する「捨てハン(本人識別が出来ないHN。とおりすがり、傍観者、AAAなど)」の存在があるが、これは確かに卑怯であり僕は嫌いであるけれども、これらのHNにはまず説得力がない、ということの認識が広まることを望む。「恥をかく場所」を持たないHNは言及事柄の評価を欠く、という「ネットマナー」が定着すれば良いのだが。僕はこういう書き込みは捨て置くか削除してしまう。
 また、「なりすまし」問題もある。僕がたくみさんのサイトに「凛太郎」と署名をしてアドレスを打ち込んでコメントしたとしても、それが本当に凛太郎がやったものかどうかは判別がつかない。なりすませるのである。たくみさんのブログはココログであり精密なアクセス解析が売りだから、ブログ管理者であるたくみさんにはそれが本人かどうかの識別がついても、閲覧者には分からない。結局、確実に「この意見は自分のものである」という証明つきで言及するには、トラックバックしか手段は現段階では存在しない、とも言える。

 と、ここまで書いて、たくみさんの記事に言及したい。
 
 
>私はなんだかんだと言ってブログ(mixiも)は初心者の部類に属する。 しかし物書きとしては、多分ベテランの部類ではとの自負は微かにある。
>ここのバランスが非常に難しい。

 「ここのバランス」の「ここ」という代名詞はいったい何を指すのかということについて、おそらくネットは初心者、しかし物書きとしてはベテラン、この両者を指しているのだろうと考えられる。しかしそのバランスとは何なのだろう。
 おそらくこの冒頭の文章は倒置法になっていると思われ、以後の記載に回答があると考えられるものの、その明確な部分を僕は読み取れなかった。
 何ゆえ読み取れないのか。それは、バランスをとらねばならない程の差異が両者にあるのか、という点に疑問を感じるからだろう。
 ネットで文章を書くことと、それ以外のメディアで書くことの差、というものは、実際には存在しないものであると僕は考えている。それは、ネットマナーというものが、特殊な部分はせいぜい技法にあるくらいで、あとは社会通念上で通じる「常識」がベースになっていると考えているからだ。それは前述したとおりである。
 ネットで表現すること、というのは様々な方法があって、BBSの一行レスからTwitterの短文、一枚の画像とそのキャプションで成立するエントリーなどいろいろだが、たくみさんがおっしゃっているのは「物書き」に対応させているのであるから、それはブログ記事もしくは個人HPの文書に相当するだろうと考えられる。そうなると、なおさら差がないのではないだろうか。

>ネット=匿名性とやらで無責任な物言いが許される風潮があるものの、

 さらにこの文章が続くが、そんな風潮があるとはとても思えない。確かに捨てハンで批判、悪口、ないしは誹謗中傷を書き込む輩は存在するが、それが許される風潮があるとは思えない。これは社会通念上、当然卑怯な振る舞いであると考えられると思うのだが。
 ネットは確かにピンポンダッシュが可能なメディアであることは否定しない。だが、これはやっぱり肯定されるべきものではないのである。たくみさんはむろん肯定なぞ全くされていなく憤慨されておられるのだが、捉え方に若干の齟齬があるように思えてしまう。
 その齟齬とはいったい何だろうか。僕が感じる違和感はどこから生じているのだろうか。
 それはやはり、「物書き」としてネット以外で執筆することと、ネットで発信することとに、たくみさんが一定の差異があると認識していらっしゃると思われる部分から生じてきているように僕には思われる。それには差異はほぼ無いに等しい、と僕が考えていることは前述したとおりである。

 もう一点、たくみさんは「捨てハン」も「コテハン」も結局のところ「ネット専用人格」であり無責任であることには違いがない、と考えられている部分だろう。
 
>ネットの影に隠れてヒットアンドアウェイをする
>かくれんぼして石を投げ合っているようなもので
>どこのどいつか判らない、いつも石は投げることができるのにしっかり隠れ蓑を持っているネット固有の人格
>その時点での批判的な意見というより炎上マニアというような、物陰の住人達の仕業

 このようにたくみさんは繰り返し批判されている。ネットの住人というものを、リアル社会に立脚点をおいていない卑怯者として断罪される。この「ネットの住人」とは、補足すれば「捨てハン」の恥をかく場所を用意していない人のことを指すのだと考えられる。
 しかしてその後、たくみさんは、

>ブログも署名付(ネット上の人格でなくリアルな人格として)で書きたいくらいである。しかし、どうやらネットの世界ではこうした考えは極めてKYなことらしい。
>私はネット上であっても逃げも隠れもするつもりはない。ただ、署名記者であっても自宅や個人の電話番号などを公開していないのと同じ意味でのレベルで個人情報を制限しているだけである

 と、書かれておられる。
 どう読み取ればいいのか苦しむ。これでは、捨てハンもコテハンも同じネット固有の人格である、と言っておられるように聞こえてしまう。

>そこだけのバーチャルな人格の存在が許される方が問題だと考えている。その責任において明確な存在証明が必要だと思う。

 明確な存在証明とはいったい何を指すのだろうか。リアルな人格を言うのだろうか。
 だが、これは市井の人間には無理な話なのである。どのようにしてリアルな人格を示せばよいのか。
 本名で(或いは世間的に知られる芸名や著作者名で)その人格を示すことが出来る方は、本当にごく限られた一握りしか存在しない。或いは、肩書き(○○大教授、とか株式会社○○社専務取締役とか)で代替出来る場合もあるが、それとてごく一部の方しか出来ない。
 結局のところ、存在証明を明確にするためには、やはりネットに頼らねば無理なのである。ネット上に「恥をかく場所」を用意するということ以外不可能なのである。

 捨てハンで誹謗中傷をする物陰の住人達を批判するのはいい。僕も大嫌いだ。だが、そこには人格すら無い、ということを確認して批判したい。リアルではないバーチャルな人格までもその批判の対象にされてはたまらない。僕も「凛太郎」というバーチャルな存在に過ぎないが、リアルに対して恥ずかしくない人格を有していると自負している。
 たくみさんは自らの記事を「署名記事」にしたいくらいだ、と吐露されているが、そうされても全く問題はない。ご家族の方が迷惑を感じられる可能性はあるが、決して「KYなこと」ではない。ただ、仮に署名したとしても、それとてバーチャルな署名であるということをふまえていただければ幸いである。不特定多数が自由に閲覧できるネットにおいては、いくら自分がリアルな人格であると宣言されても、受け取る側はバーチャルとしか見られないのだ。「たくみ」さんという存在は、ネットに存在するひとつのバーチャルな人格なのである。


 傍目、揚げ足をとったような記述になってしまって申し訳ないと思っている。だがこの部分をしっかりと認識しないと、話が先に進まない。以下、本論。

 たくみさんは、仮にバーチャルにせよ、ネット上に(つまり誰でも閲覧できる場所に)「恥をかく場所」を持たれている点で、しっかりとした人格を持った存在だと僕は思っている。そして、立ち居地を明確にされてらっしゃる点でも、無責任さは全く無いと言ってもいい。「捨てハン」を批判するに足る人格である。
 だが、そこに「落とし穴」が存在しているように思えて仕方がない。

 たくみさんは、この当該記事の末尾でも書かれておられるように、音楽家の四角佳子さん(おけいさん)を応援されている。ただ応援されておられるだけではない。非常にコアなファンであられることを明確にされている。
 それは、単なる一方通行のファンである存在を超えていると言っていいだろう。何故そんなことが分かるのかといえば、よくコンレポを書かれているが、そこに画像をふんだんに載せられている点でも分かる。普通であれば、これは肖像権の問題が絡むだろう。しかし、無断で載せられている様子も無くクレームの気配も無い。許可をうけて載せている、と考えるのが自然だろう。おけいさん公認と断定するには早計だが、黙認であっても、相当近い位置におられることが類推される。
 読者は、何も知らなければたくみさんをスタッフの一人だと勘違いしてしまうこともあるだろう。それほど、濃い関係が提示されている(もちろん「誇示」されているわけではない。念のため)。

 たくみさんにはこの部分、反論もあるだろうが、これは受け取る側の問題である。
 そうした中で書かれる記事は、読者からすればおけいさんに直結してくる。たくみさんも、プロモーションの意味合いを込めたいという思いが溢れるような記述をされている。
 だが、例えばこういう記事はどうなのだろう。→自由への系譜 まる六、6の日LIVE
 
 この記事は、南青山のマンダラで開催されたライブのレポが主題である。そのレポ自体には何ら問題はない。精密な筆致で情景を描写され、その素晴らしさを実感させてくれる。非常に文章力のある方だということが分かる。
 しかし、その記事の前段で書かれていることはどうなのだろうか。
 政治と宗教について言及するほど難しいものはない。ことに宗教は、戦争の原因になることが多々ある「相容れないもの」である。それについて、こうもはっきりと鮮明に書かれてもいいものなのか。引用したいが僕にはとても出来ないほどに苛烈な言葉が並ぶ。
 たくみさんは、「自分で書いたことにはすべて責任を持つ」と宣言されておられ、それは肯定してもいい。「蛮行」などという言葉を使用されたとしても、それは自己責任であり簡単に言えばたくみさんの勝手である。しかし、これをライブのレポの前段に挿入するという意識を僕は理解することが出来ない。ライブをされた方が困惑されるかもしれないということを想定されないのだろうか。

 これは重箱の隅をつついているのではない。一例なのである。
 ネットマナー、ということについて、僕はこの記事で繰り返し書いてきた。それは、ネットだけに存在するものではなく社会通念上に照らしても通用する概念であることも言及した。それは、「気遣い」「思いやり」の世界である。
 別に何かにおもねる必要もない。自分の信ずるところを吐露するのもいい。それが例えば誹謗中傷や信書の開示など、誰が見てもマナー違反だと考えられるもの以外は。しかしそこには、前提として「気遣い」はやはり必要なのではないか。それは「匿名」「顕名」以前の問題ではないだろうか。

 この当該記事にせよそうである。ネットの物陰に隠れてピンポンダッシュをする捨てハンを批判するのもいい。だが、何故その記事の末尾にまた唐突に「おけいさんとまる六をこれからも応援していく」と書き込まねばならないのだろうか。捨てハン批判とは次元の違うこの書き込みは、困惑をもたらす可能性があると何故想像してはもらえないのだろうか。引き合いに出される側への気遣いに欠ける、と僕などは思うのだが。

 
 さて、ここまで書きまして、当方の「気遣いのなさ」も重々承知いたしております。コメントで書く内容ではありませんのでTBという形にさせていただきました。もちろん、このTBを削除されても僕は全く問題にはしません。たくみさんに読んでいただければそれでいいのです。
 ご無礼な内容、お許し下さい。もちろん反論は大いにしていただければ幸いです。
posted by 凛太郎 at 23:10| Comment(0) | TrackBack(0) | TB記事 | 更新情報をチェックする
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